マーシャルの歴史

MarshallはこれまでJimi Hendrix, Eric Clapton, Slash, Oasis, Muse, Gorillaz, Bring Me The Horizonなどをはじめ、世界の偉大なアーティストに愛用されてきました。現在もJustin TimberlakeやLana Del Reyなどビッグ・アーティストのツアー等でも使われているMarshallですが、その偉業は創業者のJim Marshall OBE(以下Jim)と息子Terryの存在なしに語ることが出来ません。

Jimは1923年7月29日にロンドンで生まれ、子供の頃、骨結核に悩まされていました。それにより彼は13歳までの幼少期の多くを病院で過ごしました。彼は足の骨を強くするために、父親の提案でタップダンスを始め、すぐに自分が音楽の才能を持っていることに気づきました。 その後Jimはドラムを始め、1930年代後半までにはセミプロとして活動し、その後ドラムを教え始めました。

20年以上のライブ活動の後、1960年7月7日にJimは妻のVioletと息子のTerryと一緒に「Jim Marshall and Son」と呼ばれる家族経営の音楽店をロンドンのハンウェル、アックスブリッジロード76番地にオープンしました。 その場所の舗道には現在はMarshallの始まりを祝う銘板が飾られています。

この店はさまざまな楽器を販売し、Pete Townshend、Ritchie Blackmore、John Entwistle、Terryの友人だったBig Jim Sullivan、Jimのドラムの生徒を通して店を知ったKeith Moonなど、多くの若い才能を魅了しました。

この店はすぐに若いロック・ミュージシャンが集まる店として評判になりました。当時の楽器店は、主流だったジャズ系楽器を中心に販売していましたが、Jimはそれ以外の大衆への供給に勝機を見出しました。そして、彼はすぐにその地域の主要なアンプ店の1つになりました。

しかし、若いギタリストたちは、市販のアンプでは自分たちが思うようなトーンが鳴らないと不満を漏らしていました。そこで、JimとTerryは自分たちでオリジナルのアンプを作ることにしたのです。

Jimは主に製品のキャビネットに焦点を当て、Terryと当時のサービス・エンジニアであったKen Branは回路を調べあげ、さまざまなコンポーネントの実験を開始しました。Jimと同様にTerryもギタリストではなく、著名なサックス奏者であり、Marshallのサウンドを生んだのは彼らの“異なる”耳でした。

現在「Number One」として知られている最初のアンプは、1962年9月の発売初日に23台の注文を集め、これが後に続く”JTM45”の初代モデルとなりました。「JTM」はJimとTerry Marshallの頭文字から、「45」は他メーカーのようにアンプのピーク電力値ではなくRMS(二乗平均平方根)値を表しています。

アンプの成功により、Jimはより多くの製品と生産に対応するために、道路の向こう側(アックスブリッジロード93番地)に2番目のショップをオープンしました。 しかし、需要はすぐに供給を上回り、1964年6月、Marshallは近くのヘイズのシルバーデールロードに最初の専用工場を設立しました。

Marshallが次のレベルに進んだのは、1965年にPete Townshendが、ステージ上での存在感が強く、かつサウンドもより大きいアンプを作るよう要求した時でした。その解決策とは、ローディーたちにとっては恐怖でしかない、Marshallの8x12”スピーカー・キャビネットでした。 しかし、Jimはすぐにこれらを4x12”のキャビを2段積み重ねた形に置き換え、こうして象徴的なMarshallスタックが誕生しました。ここから先はご存知の通りです。

“After all, I have been nicknamed The Father of Loud!”
(かくして私は”爆音の父“と呼ばれるようになった!)
Jim Marshall OBE.

1966年、地元の有名なドラマーでJimの元教え子であるMitch Mitchellは、Jimiという名の当時は比較的無名のアメリカのギタリストと活動を始めました。とあるライブで、会場はバンドが持ち込んだアンプ用のスペースを作るためにMarshallスタックをステージから降ろすことを拒否したため、仕方なく彼らはそのスタックで演奏しました。そしてその直後、ギタリストのJimi Marshall HendrixはMitchに「このアンプを作った自分と同じ名前の人」を紹介してほしいと頼みました。それ以来、Marshallは国際的な存在になったのです。

ハンウェルの店舗とヘイズの工場はすぐに手狭となったため、Marshallは1967年にブレッチリーに移り、以後10年間を通してパイオニアであり続けました。当初、ジムはラグビーにある工場に引っ越すように頼まれましたが、これは彼のルーツから遠すぎると感じました。その点ブレッチリーは、熟練した労働者、リーズナブルな家賃、物流の環境、ロンドンへの近さなどの条件が揃っていたため、今日までMarshallの本拠地であり続けているのです。

1981年に発売された伝説的なJCM800は、その新しく大胆な外観とアグレッシブかつモダンなサウンドで名声を得ました。またパンクやヘビーメタルを始めた若いバンドにとっても手頃な価格でした。現在そのJCM800の復刻版は、ハードロック・バンドHalestormのフロントウーマンであるLzzy Haleのお気に入りです。

“Every time I plug it in I get that same feeling, that same desire to just rock.”
(プラグ・インするたびに、ただ”ロックしたい”という欲望を掻き立てられるの)
Lzzy Hale (Halestorm)

1987年、Marshallはアンプ事業で25周年を迎えました。そしてJimにとって、これは音楽事業を始めて50年が経ったことを意味しました。それらを記念して、スタイリッシュなシルバー・ジュビリー・アンプもリリースされました。シルバー・ビニールのカバリングとクローム・メッキのパネルで装飾されたこれらのアンプは、現在でも非常に魅力的に映ります。

1997年で35周年を迎えたMarshallは、これを記念して名機と名高いJCM2000 DSLシリーズを発売しました。また同年に発売された、わずか250台のみ製造された白い1959スタックを覚えていて、あるいはそれを手に入れることができたラッキーな人もいるかもしれません。そしてその10年後、マルチ・チャンネルで音色と機能の多様性を誇るフラッグシップ・アンプ:JVMシリーズが発売されました。

ヘッドホン市場に参入した2010年は大きな変化でした。私たちはMarshallブランドの品質をより多くの人々に、新たな製品群でお届けしたいと考え、白いスクリプト・ロゴ、黒いビニール・カバリング、堅牢な可動パーツを備えたMajorとMinorの2タイプのヘッドホンを発売しました。これらは大成功を収め、さらに現在はノイズ・キャンセリングなどのテクノロジーを駆使した、インイヤー、オンイヤー、オーバーイヤーのラインナップを展開しています。

同じ年、私たちはNatalをMarshallファミリーに迎えました。同社の設立は正式には1965年ですが、イギリスのパーカッショニストであるAlan Sharpは、50年代後半から自分の楽器を組み立てていました。彼の革新的なパーカッションに注文が殺到するようになりNatal Percussion Companyが設立され、当時Fleetwood MacやThe Rolling Stonesなどに支持されました。

グラスファイバーを採用することで音の立ち上がりを良くし、手にやさしい丸みを帯びたフープにより、彼の楽器は人気を博しました。これらの製造方法は後に他のドラム会社でも採用されるのですが、Natalはそのパイオニアであり、その結果、ブランドへの関心が爆発的に高まりました。Natalはその後、90年代初頭のFusionシリーズや、カウベル、カホン、小さなパーカッションなど製品ラインアップを拡大しながら繁栄を続けました。近年Natalはドラム・キットに軸足を移し、Jamie Morrison (Stereophonics)、Jordan Pugh (Boston Manor)、Oli Wiseman (Anne Marie)などの若いミュージシャンを魅了しています。

“I've never felt so comfortable behind a kit!”
(ドラム・キットの後ろがこんなに快適なのは初めてだ!)
Jordan Pugh, Boston Manor.

2012年はMarshallにとって忘れられない50周年となりました。1ワットのヘッドとコンボが、この特別な機会を記念し、Marshallの素晴らしい作品たちに敬意を表してリリースされました。また、まさにMarshall流に、私たちはウェンブリー・アリーナを貸し切り、その年の4月に亡くなったJimに敬意を表した多くの伝説的ミュージシャンをフィーチャーしたロック・コンサートを行いました。

“I would have been delighted if we could have built and sold just 50 amps. I didn't dream that the endeavour would last 50 years.”
(たった50台のアンプを製造して販売できたら嬉しかっただけなのに、その努力が50年続くとは夢にも思わなかった)
Jim Marshall OBE.

そしてMarshallは再び多様化を推し進め、今回は家庭用やレジャー用のさまざまなオーディオ・スピーカーを発売しました。私たちの最初の2つのスピーカー、HanwellとStanmoreは、Marshallの歴史における重要な場所にちなんで名付けられました。Marshallのスピーカーは、ビンテージ・アンプの象徴的なスタイルに基づいており、ビニールのカバリング、ゴールド・メタル仕上げ、スクリプト・ロゴ、フレットクロスがあしらわれています。

2016年には、デジタルかつ完全プログラマブル、そしてBluetooth接続機能搭載のCODEを発売しました。このアンプには、プロ品質のアンプ・モデリングと24種のデジタルFXを備え、幅広いサウンドを楽しめます。このアンプではクリエイティブなコントロールが自在に可能で、歴代のさまざまなMarshallサウンドを体験することができます。

“It’s pretty amazing to actually have everything you would want in an amp…in an amp!”
(一つのアンプに必要なものがすべて揃っているなんてとても素晴らしいわ…たった一つのアンプに!)
Nita Strauss.

若手ミュージシャンのサポートをさらに強化するべく、2016年7月にMarshall Recordsを立ち上げ、Nova Twins、Therapy?、Press to Mecoなどの才能あるバンドと契約しました。

レコード・レーベル立ち上げのきっかけとなったのは、King CreatureのDavid Evansとの関係によるものです。Davidの母親はMarshallから最初のアンプを受け取った後、私たちに彼の進歩の状況を逐一報告してくれました。そして彼が並外れた才能の持ち主であることがわかりました。King Creatureが結成されたとき、私たちは彼らをサポートし、彼らの音楽を前進させるためのプラットフォームを提供しなければならないと感じたのです。今日、彼らはBottom Line、Gallus、Thousand Thoughts、Grand Slam、Bad Touch、Inklings、Gen and the Degenerates、D_Drive達と肩を並べるようなバンドとなっています。

私たちは2021年にMarshall Live Agencyを立ち上げ、絶え間なく変化するライブ音楽業界のなかでアーティストやクルー、プロモーターに新しいサポート手段を提供するという次のステップを踏み出しました。これを、同じ年の後半に完成した独自の最先端レコーディング・スタジオと組み合わせることにより、ミュージシャンが素晴らしい音楽を作り、業界にその名を残すために必要なすべてのものを提供できるようになりました。

私たちはこれまでの歴史を誇りに思っています。しかし、Marshallの歴史はまだ始まったばかりです。新製品をリリースしたり、見た目を一新したり、ウェブサイトに新機能を追加したことにお気づきかもしれませんが、これらもすべて次世代のミュージシャンや音楽愛好家をサポートするというビジョンを実現するためです。
Marshallはイノベーターとして、あなただけのサウンドを見つける手助けをするために可能性の限界を押し上げ続けていきます。

“Music is at the heart of everything we do.”
(私たちにとっては音楽がすべての中心なのです)
Terry Marshall.