HISTORY OF THE JTM45

(JTM45・ヒストリー)

私たちはこのモデルを60年前に作り、そして今日でも作り続けています。

創設者のJim Marshallとその息子Terryの頭文字を冠したJTM® 45は、そのすべての始まりとなったアンプです。1962年当時、イギリスで入手可能なアンプは、当時の気合いの入ったRockerたちにとって満足のいくものではありませんでした。そして当時最も人気だったアンプは海外からの輸入品であり、プレイヤーの手元に届くまで時間がかかることが多く、市場に隙間ができてしまっていました。そこでMarshallはそのギャップを埋めるべく、JTM45の開発に着手しました。

SO WHAT HAPPENED?

(何が起きたのか?)

そのオリジナルアンプは、当時Terry Marshallが愛用していたFender Bassmanを参考にしていました。Bassmanと同様、JTMの初期バージョンは出力段に6L6または5881真空管を使用していましたが、後期モデルではKT66、EL34、またはKT88真空管にアップグレードされました。Marshall社の開発陣は真空管だけでなく、その他にもアルミ製のシャーシ、プリアンプ初段に12AX7真空管の使用、アンプの倍音成分に影響するネガティブ・フィードバック回路の調整などの重要な変更を施しました。

このため、JTMにはより多くのフィードバックが流れ、その当時の他のどのアンプとも異なる倍音成分を含んでいただけでなく、今日では有名な、歪みが強く硬質なMarshallサウンドが生み出されたのです。

最初のプロトタイプが作られ、販売された後、大評判となりました。この歪んだサウンドこそが、当時のプレイヤーたちが望んでいたものだったのです。注文は殺到し、その1号機は現在ブレッチリーのMarshall社のオフィスに飾られています。

AFTER THE PROTOTYPE

(プロトタイプ以降)

当時のMarshallの店舗の規模では、これらのアンプを自社で製作することは不可能だったので、チームスタッフの納屋などで製作されました。

極初期のJTMの音は、1台1台まったく違うものでした。Jimの店に「もう少し低音を出したい」「高音を抑えたい」「ゲインを上げたい」など、いろいろなリクエストを持ったプレイヤーたちが訪れたのでしょう。記録によるとJTM45は、最初の8年間で24種類のバリエーションがあるとされていますが、実際の数はもっと多いかもしれません。最初の数台のアンプで最もユニークだった点として、電子機器のレイアウト方法で、ほとんど全てがアンプの片側に配置されていました。このタイプは「オフセットJTM45」と呼ばれていますが、このように電子機器を配置するとバランスが悪くなり、持ち運びが困難になるため、このアイデアはすぐに中止され、ほんのわずかな台数しか流通しませんでした。

MOVING FORWARD

(前進あるのみ)

MARSHALLは、今やその歪みと大音量で知られていますが、当時すでに音量は抜群だったのでしょうか?
もちろん全然足りませんでした!密閉型キャビネットの採用などの設計変更により、元は15WのJTM45から20W、さらに25Wと、パワーアップしていきました。改良されたのは内部だけではありません。その後3年間に渡って、オリジナルのスムースブラックレザーにブロンドだったロゴを、赤いエナメルのフォントのフロントメタルプレートに変更するなどの変更が加えられました。これは、Jimが葬儀具店から調達してきたもので、「コフィン(棺桶)バッジ」と呼ばれ親しまれています。このバッジは200個しか購入されず、顧客向けモデルに搭載されたのは50個以下と推測されますが、その実数は確認されていません。また、1枚1枚のプレートが高価なため、片っ端から使ったり売ったりした、という説もあります。またアンプの筐体も長くなり、フロントエッジの厚い感じはなくなりました。

1963年末、ようやく現在も採用されている黒一色のカラーリングとなりますが、かの有名な白いロゴはまだ存在せず、その登場については1965年まで待つことになります。